H.28年度 テーブルスピーチ (尾崎 美紀氏)

「絵本は心のビタミンC」      尾崎 美紀(西高19回生)
 童話や絵本を書く仕事に就こうと思ったことはありませんでした。中学の時から、詩や小説、エッセイを気ままに書いていたので、書く仕事をしたいと漠然と考えていたのは確かですが、作家というものがどういったものか、どうすれば作家になれるかなど、当然知りようもありませんでしたから憧れ以外の何物でもありませんでした。
中二のある日、現代国語の時間に眠気を覚ますような詩に出会ったのが職業としてもの書きになりたいと強く思うきっかけでした。
それが谷川俊太郎の詩でした。ことばで人を引き付け感動させる仕事って、なんてすごいんだと。
しかし、作家になるという夢が妄想に近いと知るのは社会人になってからでした。それでもコツコツと書きため、同人誌に加わって仲間たちと作品を批評し合うというのが二十年余りも続きました。
なかなか芽が出ない。出版の糸口も見つからない。当たり前です。世の中に文才のある人などいくらでもいるのですから。壁に何度も突き当り諦めかけたところに、どういうわけかいつも何かしらのヒントや助け舟が現れました。
「この人、童話を書いたらいいんじゃあないかなあ」
 それは第一詩集を出した出版社の人のことばでした。ことばに行き詰っていたこともあって、少し子どもの言葉を勉強してみようと児童文学の世界に寄り道をしました。そのほんの寄り道が、自分の一生を変えてしまうことになろうとは思いもしませんでした。
 それでも書いて書いて十年経った頃、もうそろそろ潮時かと感じ始めた時に大きな公募でグランプリをとってしまったのです。正直、その作品が最後だぞ、と自分に言いきかせていたので驚きました。それが大きな転換期でした。ただし、たくさんの賞をいただきましたが、それでプロになれるという保証が出来たわけではありません。それでも、幸運は一気に天から降ってきました。いい編集者に巡り合えたのです。その後現在に至るまで、懲りずに本を出してくださることになった出版社との出会いでした。
 プロという言葉にはただならぬ響きがあります。一作の秀作を持っていても、それを持続させられなくてはプロとは言えません。常に新しい作品を書きためておく。アマチュアとプロの違いは、そこにあると思っています。仕事がやって来た時に「書けません」というのは論外で、「今から考えます」というのもプロではない。いつも作品をストックしているという強みが、私が長く仕事を続けてこられた一つの要因でもあると思っています。
 児童文学というのは、非常に狭いジャンルの文学です。読者は子どもです。それも、幼児と小学生、それに中学生とでは読むものは全く違います。とりわけ小学生は、低・中・高学年では成長に大きな幅があるために、児童文学という大雑把な括りの中ではどうしようもない壁にぶち当たったりします。おまけに、小説のように何を書いてもいい、どんな表現を使ってもいいというわけにはいかない。だれにでもわかる言葉で、誰もが表現しえなかった作品を書く、というのがいかに難しいかを、その後知ることになります。しかし、だからこそ寄り道だった児童文学にどっぷりはまり込んでしまったのかもしれません。
 講演などでよく「子どもが本を読まないのですが、どうすればいいでしょうか?」という質問をされます。しかし、私はいつも「そんな魔法のような方法はありません」と答えています。ただし、「本が嫌いになる方法なら、いくらでもありますよ」と補足します。
 本が嫌いになる原因の一つは、お父さん、お母さんです。お偉い大臣たちが「本を読まない子どもが増えて、日本が滅びる」ようなことを言いますが、私は逆に、本を読まない大人がどんどん増えていることに危惧を覚えています。親が面白いと思わないものを、小さな子どもが面白いと思うはずはありません。
 それでも親というのはおもちゃを買うよりも本を買うことが子どものためになる、と思っている節があります。「本を買って」と子どもがねだったら、むしろ「よく言った」とばかりに喜ぶのは、本を読むことが勉強だと勘違いをしているからです。絵本よりも、たくさん字が書いてある本を薦めたり、帯に「推薦図書」とある本をいい本だと思い込むのはそういうことです。本を読むことは遊びです。遊びだから面白いのです。遊びこそが人生の勉強の場だ、と誰もが知っているはずなのに、本さえ読めば賢くなるなどと大人の理屈を押し付けるから、子どもたちは本が嫌いになってしまうのです。面白い本を、どんどん好きなだけ好きなように読みなさい。これでどうしていけないのでしょうか。
 考えてみれば、私たちが十代の頃だって、そうそう本が大好きという子どもがたくさんいたわけではありません。今の時代のように、ほかに興味をそそられるものもなく、情報も狭かったのですから、それを突破するためにも本という媒体が唯一手軽に使えるツールでした。そこから物語にはまり、世界を知る時代だったのです。
 本が嫌いになる二つ目は、学校です。そうあの夏休みの地獄の宿題「読書感想文」です。もちろん、本を読んで感想を書くことは素晴らしいことです。しかしながら、読書の醍醐味を教える前に、しかも文章の書き方を十分に教えるでもないのに、いきなり一冊の本を読んで感想をかけと言うのは無謀です。一年生ならやっと文字が書けるようになった学年でしょう。大好きな場面を絵に描かせるくらいで十分なのではありませんか。年齢が上がったとしても文章を書くというのはかなりの修行が要ります。それをまず授業ですることが先決です。読むことは書くことだ、と洗脳されてしまって本が嫌いになる子だっているはずです。それで結果として、親の宿題になってしまったのではないでしょうか。
 3つ目は、大人の押しつけです。「どんな本がいいのですか?」とアドバイスをお願いされることもありますが、百人の子どもがいれば、好きな本は百冊あっていいはずです。本ほどその人の個性が出て、必要性の差が出るものはありません。「この本を読みましょう」などという新聞広告のおせっかいは、一体だれの陰謀でしょうか。私が感動した本を、あなたが同じように感動するとは限らない。私がどうしても必要な本は、あなたにとっては全く意味のない本であるかもしれない。本というのは、そういう不思議で恐ろしいものだとも言えます。それを考えずに、「あなたのためになる本だから」と押し付けられた本こそ迷惑な話です。大人の目線と子どものそれとは、大きくずれていることの方が多いと、大人は早く気付くべきです。時には、子どもの感性の方が大人よりも勝っていることだってあるのですから。
 本は、オロナミンCのように読んだからと言ってすぐに効くわけではありません。むしろ、効いてるんだか効いてないんだか、養命酒みたいに毎日少しずつ飲んでいるうちに、なんだか調子いいなあと感じるものだと思っています。明日効く人もいれば、何十年もたって苦難にぶち当たった時に、「そうだったのか」と感じる人もいます。それだからこそ、いろいろなジャンルの本を読み、大切な一冊を持つことが人生のビタミンCになるのです。
 人が壊れそうになる時は、心にビタミンCが足りない時です。心が風邪をひいているからです。一冊のビタミンCで救われたことは、私にはたくさんあったと思っています。
 本など読まなくても人生楽しく過ごせますが、だいじな一冊の本を本棚にそっと忍ばせておける幸せを子どもたちに伝えるために、これからも書き続けていくつもりです。

<著書>

 絵本「あ・し・あ・と」「あたしのいもうとちゃん」「バナナわに」他
 童話「さよなら ごめんおばけ」「ちょっと源さんお借りします」他
 詩集「らいおん日和」「パリパリと」「いとしのスナフキン」他

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