H.29年度 テーブルスピーチ (牛尾 公平氏)

「関西のうす色・うす味文化と淡口醤油」


牛尾 公平(西高19回生)


[日本の醤油(主に淡口醤油と濃口醤油の違い)について]
 醤油は日本の味ともいえる伝統的で身近な調味料だが、たとえば、「淡口醤油と濃口醤油にはどのような違いがありますか」との問いに明確に答えることができる人は少ないと思われる。そこで、本題に入る前にJAS法で定められた5種類の醤油とその原料、製造工程などについて紹介した。特に、色が薄く穏やかな香りを持つ淡口醤油は、だし風味や素材の色・味を生かし、野菜・卵・白身魚などのうす味の料理に向くこと、一方、色が濃く強い香りを持つ濃口醤油は、醤油の味や香、加熱香、照りなどを期待する肉・赤身魚向けの濃い味料理に向くことなどを例に挙げて、両醤油には明確なコンセプトの違いがあることを紹介した。

 

[関西の味と関東の味]
江戸時代の末頃出版された守貞慢稿(1)は、巻5、生業 料理茶屋の頁で京阪と江戸の味付けについて次のように比較している。「・・・三都自ラ異ナル所アリ京阪ハ美食ト雖モ鰹節ノ煮ダシシテ是ニ諸白酒ヲ加ヘ醤油ノ塩味ヲ加減スル■故ニ淡薄ノ中ニ其物ノ味アリテ、是ヲ好トス、江戸ハ専ラ鰹節ダシニ味醂酒ヲ加ヘ或ハ砂糖ヲ以テ代エ醤油ヲ以テ塩味ヲ付ル故ニ口ニ甘ク旨シト雖モ其ノ物ノ味ヲ損スニ似タリ・・・、」。つまり、京阪は鰹だしに清酒を加え醤油を控えめに加えて不足する塩味を食塩で調節する。したがってうす味だけれども素材の味が生きており、これを好む。一方、江戸は、鰹だしに味醂または砂糖で甘味を加え、塩味は醤油の量で調節することから、甘くて旨いけれども素材の味が損なわれていると述べている。
 平成8年に真部らは(2)、神戸から東京(東海道沿線の都市)のうどん屋さんからうどんつゆの提供を受けて、その分析結果を報告している。概略を紹介すると、京阪神から東へ行くに従ってつゆの色は濃くなり、食塩濃度は高くなっている。その原因について、京阪神はだしに淡口醤油を控えめに加えて、だし風味が効いたつゆを作るのに対して、東京は、だし原料は多く使用するのだけれども濃口醤油で塩味を調節するために醤油味が強く、だし風味が乏しい、食塩濃度が高いうどんつゆになると述べている。
これらの事実は、江戸時代末頃の守貞慢稿で見られた東西の味の差が現在も続いていること、さらには、東西の味の差は江戸時代末頃までには形成されていたことを示唆している。

[「淡薄ノ中ニ其物ノ味アリテ、是ヲ好トス」を実現する淡口醤油]
 守貞慢稿が「淡薄ノ中ニ其物ノ味アリテ、是ヲ好トス」と表現した関西の味を実現する上で淡口醤油は欠かすことのできない調味料と思われますが、具体的にはどのような調理特性が大切なのだろうか、たとえば、淡口醤油を用いた煮物は濃口醤油を用いた煮物よりもうす味(低塩)に仕上がるのではないだろうかと考えました。(以下この項は、日本調理科学会 近畿支部 煮る研究分科会 うす味調味研究グループとヒガシマル醤油の共同研究に基づいて記述しています(39))。
 永谷らは(4)、淡口醤油でも濃口醤油でも調理するカボチャの煮物について、料理の食塩濃度を明記した98文献・129レシピを比較研究した。つまり、淡口醤油と明記した煮物と濃口醤油または醤油と記述した煮物の食塩濃度、および煮詰め操作の有無を見たところ、淡口醤油のカボチャの煮物の食塩濃度が1.2%に対して濃口醤油の煮物の食塩濃度は1.4%と高い値を示した(有意水準p>0.05)。また、濃口醤油の煮物には煮詰め操作が加わる比率が高く、最終的な食塩濃度はさらに高くなるものと考えられた。
 この結果は、淡口醤油で煮た料理は濃口醤油で煮た料理よりもおいしいと感じる食塩濃度が低いことを示している可能性と、守貞慢稿や真部らの研究で見られたように、食文化の違いを反映した結果であるとも考えられる。
 そこで、淡口醤油と濃口醤油で同じ煮物(カレイの煮物)を食塩濃度(醤油の量)を変えて調理し、淡口醤油の煮物の中で、また、濃口醤油の煮物の中でそれぞれ順位つけをした(58、9)(40名の女子大生の方々に鑑定を依頼した)。その結果、淡口醤油のカレイの煮物では、煮魚の塩分1.2%(煮汁の塩分3.2%)が最も好まれたのに対して、濃口醤油のカレイの煮物では、煮魚の塩分1.9%(煮汁の塩分4.3%)が最も好まれた(有意差検定はケンドールの一致性係数による。p>0.01)。
カレイの煮物だけでなく、サトイモ、ダイコン、カボチャでも淡口醤油の煮物の方がおいしいと感じる食塩濃度が低い結果が得られた(68、9)

[淡口パラドックスの機構]
 上記のように、淡口醤油の煮物は濃口醤油の煮物よりもおいしいと感じる食塩濃度が低くなる傾向が見られた。しかし、一般的な淡口醤油は一般的な濃口醤油に比べて1割程(約2%)食塩濃度が高く設定されている。食塩濃度が高い淡口醤油の方が料理の食塩濃度が低くなるのは何故だろう。
ところで、乳脂肪分の摂取量と心臓病死亡率の間には正の相関がみられるが、フランス人は乳脂肪分の摂取量が多いにもかかわらず当該死亡率は例外的に低い。この死亡率の低さをワインポリフェノールの摂取量の多さで説明できるとするフレンチパラドックスという概念が広く知られている。
そこで、上記した淡口醤油の調理特性を「淡口パラドックス」と名付けて、料理の食塩濃度が低くなる機構の解明を目指した(10、11)。その際、「味の決め手は塩味である。淡口醤油は上手に塩味をつける(上手に塩味を感じさせる)調味料である」との作業仮説の下に検討を進めた。検討結果を簡単に述べると以下のとおりである。
1、淡口醤油は濃口醤油よりも塩味の閾値(弁別閾)が低く、微妙な塩味の調節がしやすく、入れ過ぎないで調理できる。(ナトリウムは体内の貯蔵量が低く、体は常にナトリウムの不足を心配して必要量よりも多く摂取する傾向にある(12)。食塩の最低必要量は1.3g/日(12)であるが、実際の要求レベルははるかに高い(13)。また、体内の濃度は味覚で調節されているので、濃口醤油のように塩味の閾値が高く、塩味を感じにくいとおいしいと感じる食塩濃度が高くなると考えられる。)
2、淡口醤油は鰹だし風味、昆布だし風味、煮干しだし風味の閾値(弁別閾)が低く、だし風味が生きた料理になる。
3、驚くべきことに、鰹だし風味の閾値(弁別閾)は食塩水中よりも淡口醤油中の方が低い。つまり、淡口醤油は鰹だし風味を増強する(関西のうどんつゆはだし風味が効いている秘密はこのあたりにもある)。
4、鰹だしは塩味を増強する(鰹だしには減塩効果がある)。
5、淡口醤油はだし風味を増強することで鰹だしの減塩効果を高める。鰹だしと淡口醤油を合わせると低塩でおいしいと感じる。
 以上のように、淡口醤油は塩味の閾値が低いだけでなく、鰹だし風味を増強することによって、美味しいと感じる食塩濃度をさらに低下させるという淡口パラドックスの機構を明らかにすることができた(さらなる効果が確認できていますが、割愛します)。

[関西のうす色・うす味文化形成と淡口醤油(龍野醤油の歴史)]
 前項では、関西の味を実現する淡口醤油の調理特性(淡口パラドックス)について見てきた。では、関西のうす色・うす味文化はいつごろ形成されたのだろうか、うす色・うす味文化の形成に淡口醤油はどのように関わったのだろうかという観点から話を進めました。
まずは、醤油の普及の様子を見た後で龍野醤油の歴史を比較しました(この項全体を通して「近世特産物流通史論」(14)を参考としました。
毛吹草(松江重頼著 1638年)の「従諸国出ル古今ノ名物」に醤油関係の品目として 山城国の山城醤と和泉国の和泉溜が列挙されており(15)、京都と泉州が醤油の商業生産の先進地だと考えられている。本朝食鑑(人見必大 1695年)には、近世家々で作っていると記述されており(16)、17世紀末には醤油が一般家庭に普及しつつある様子がうかがえます。また、幕府の調査によると1724年から1730年の間に上方から江戸へ運び込まれた醤油の量は年平均13万樽(全体の3/4)であり(17)、18世紀前半は上方の醤油が江戸へ運ばれていたことがわかります(一方、1821年になると江戸全体の需要125万樽に対して上方からの醤油は2万樽に減少している(18)。このことは、100年間での醤油需要のさらなる増加と江戸の濃い味文化の形成を示唆しています)。時代が下って、広益国産考(大蔵永常 1802年) には、「醤油は都て用ひざる家なし。・・・内にて造るより買ひて用ふる方徳分なりといへり」と記述されている(19)
以上、醤油の普及を概観すると、17世紀の末頃から一般家庭への普及が進み、18世紀の前半から中盤にかけて商業生産の先進地・上方の醤油が江戸においても優勢であったが、19世紀前半には江戸周辺での商業生産の増大(相対的に上方の低下)と商品としての醤油の需要増が顕著となる。
では、淡口を特徴とする龍野醤油にはどのような歴史があるのだろうか。17世紀末頃(1688)の龍野惣町会所の記録では高瀬舟の醤油に運上金が課せられており(20)、規模は不明ながらも商業生産された醤油が藩外へ運ばれていた様子がうかがえる。享保年間(1716~35)には円尾屋(龍野で最も古い醤油醸造業者)が京都・大阪・江戸へ出荷し(21)、1746年には円尾屋が京都に出店を出した記録がある(22)。1761年には京都で他国醤油仲間7軒が成立し(23)(備前を中心とする地方の醤油が京都市場で地位を確立する過程を示している)、1780年には21軒に増加している。この増加は龍野醤油の参入によると考えられている(24)。さらに、1813年には他国醤油の中で龍野をはじめとする播州醤油は50%を占めて(25)、備前醤油を凌駕するに至った(この頃、京都の地場醤油株の3/4は休業状態となっている)。
以上のように、龍野醤油は、18世紀の中頃以降、京都市場で地位を高め、19世紀の前半にはトップシェアを占めるに至ったとみることができる。

[関西のうす色・うす味文化形成と淡口醤油(料理本に淡口醤油を探る)]
 19世紀中ごろの守貞慢稿で明確にされた関西の味の特徴から見て、当時すでに淡口醤油のニーズが存在していたと考えるのが自然であろう。しかし、醤油製造業史や流通の歴史は、経済史や郷土史の対象として広く研究されてきたにもかかわらず、消費場面から見た醤油の歴史は皆無といってよいほど見当たらない。
 そこで、江戸時代に出版された料理本の中に淡口醤油を探索することとし、江戸時代の味醂に関する研究実績がある日本調理科学会 近畿支部食文化研究分科会の先生方に醤油研究グループを形成して頂き研究を委託した。
この項は上記研究グループの委託研究成果に基づいています(262728、29)。その成果を基に牛尾が考察した事項には(牛尾考察)とお断りしています。
調査した翻刻江戸時代料理本集成、日本料理秘伝集成、千葉大学教育学部紀要収載の102冊にうす味に関するコメントは多くはないが、料理塩梅集(1668年刊)では、たいらき焼の項に 「・・・薄醤油にして少色付程なるがよし、白く見懸かるも赤過ても悪也・・・」とあり、傳演味玄集(1745年(推)刊)では、山芋のたれ汁の項に「・・・色が濃くならないように色の薄いしょうゆを用いる」とか、青和の部に「・・・うどなどは現在味をつけるといって薄じょうゆで少し風味があるようにするが、昔は試してみなかった事である」などと記述されており、色の薄い醤油のニーズが確かに存在したことがわかる。しかし上記コメントに見られるように、江戸時代を通して料理本に淡口醤油・薄口醤油等(以下「うすくちしょうゆ」と表記する)は登場せず、「うすくちしょうゆ」を連想させる薄醤油、淡醤油等(以下「うすしょうゆ」と表記する)が登場した。「うすしょうゆ」が登場する料理本、および調理場面を見ると、
1、江戸時代中期以降の料理本で、

2、京都・大阪の著者の本に多く、
3、調理後のつけ・かけではなく、調理中に使われており、煮物、汁物、飯物など現在の淡口醤油と同じ料理に使用されていた。
このような結果から、醤油研究グループは、

イ、「うすしょうゆ」は「うすくちしょうゆ」の古い名称であろう。

ロ、関西の「うす色・うす味文化」は江戸中期に成立したのだろうかと考察した。
少数ではあるが、料理塩梅集のように18世紀中期以前の料理本にも「うすしょうゆ」が登場する。前項で見たように、龍野醤油が中央市場(京都市場)で存在感を増すのは18世紀中頃以降であることから、龍野醤油が関西の食文化形成の初期からかかわったとは考え難く、食文化の発展・成熟過程に貢献したと考えるべきであろう(この文章は牛尾考察)。
醤油研究グループは明治~昭和初期の料理本にも調査範囲を広げ、「うすしょうゆ」から「うすくちしょうゆ」への交替が大正から昭和初期に見られることを明らかにした。

[「うすしょうゆ」と「うすくちしょうゆ」の関係を明らかにする]
前項で醤油研究グループは「うすしょうゆ」は「うすくちしょうゆ」の古い名称であり、大正期から昭和初期にかけて「うすくちしょうゆ」に変わっていったと考察したが、「うすしょうゆ」と呼ばれていた「うすくちしょうゆ」が江戸時代の中期以降に関西のうす色・うす味文化形成にかかわったとするには、「うすしょうゆ」=「うすくちしょうゆ」、または、「うすしょうゆ」から「うすくちしょうゆ」へ変化した事実を明らかにする必要がある。
そこで、明治から昭和初期の料理本に「うすしょうゆ」の品質、または、「うすくちしょゆ」との関係についての記述がないか調査したところ、96冊(300余冊を調査)の料理本に「うすしょうゆ」、「うすくちしょうゆ」が登場した。以下、調査概要を紹介する(30、31)
1、「うすしょうゆ」を色が薄い醤油(タイプ1)であるとする本が3冊、「うすしょうゆ」はだしで希釈した醤油(タイプ2)であるとした本が4冊、水で希釈した醤油(タイプ3)であると定義した本が1冊存在した。
2、「うすしょうゆ」が登場する料理を分析した結果、タイプ1の「うすしょうゆ」が最も多く、特に、京都・大阪の著者の本にはタイプ1の「うすしょうゆ」が多くみられた(タイプ2,3の「うすしょうゆ」はマイナーな存在だと思われたが、江戸時代から続く定義であろうと考えられた)。
3、大正時代に入ると(1920年以降)料理材料(調味料も)の使用量を記述した本が増加するが、希釈した醤油であると定義するタイプ2,3の「うすしょうゆ」は材料として記述することが不可能なことから、消えていった。
4、タイプ1の「うすしょうゆ」は料理材料としても使用量の記述も可能なことから、「うすくちしょうゆ」と混在する料理本に残り、やがて消えて行った。
5、料理材料の使用量を明記した5冊の料理本に登場する「うすしょうゆ」は12件であったが、出来上がりの料理の食塩濃度から考察して、全てが希釈しない醤油(タイプ1の「うすしょうゆ」)であった。特に、最新割烹指導方案(32)の材料の項に登場する淡醤油(「うすしょうゆ」)は、調理場面では淡口醤油(「うすくちしょうゆ」と記述されており、この著者にとって「うすしょうゆ」と「うすくちしょうゆ」は同義語であったことが明白である。
6、「うすしょうゆ」と「うすくちしょうゆ」の混在は、5冊の料理本の著者が料理修行、または、料理研究を始めた頃には「うすしょうゆ」と呼んでいたが、本を出版する大正から昭和初期には名称が「うすくちしょうゆ」に変わっていたことを反映しているのであろう。
7、上記の結果から、「うすくちしょうゆ」は、古くは「うすしょうゆ」と呼ばれていたことを確認することができた。さらに、「うすしょうゆ」と呼ばれていた「うすくちしょうゆ」が関西のうす色・うす味文化の形成にかかわったとする醤油研究グループの考察を強化することができた。
 講演の概要は以上です。



参考文献

 

(1)喜田川守貞著、朝倉治彦編:「守貞漫稿」 p.75 東京堂出版 (1974)
(2)真部(口羽)真理子、落合由佳、高村仁知、的場輝佳:日本家政学会誌 47, p.59 (1996)
(3)池内ますみ、水野千恵、奥田展子、澤田崇子、永谷裕子、山下英代、山田克子、横溝佐衣子、四谷美和子、富岡和子:日本調理科学会誌 38, p.163 (2005)
(4)永谷裕子、池内ますみ、奥田展子、澤田崇子、升井洋至、水野千恵、山下英代、山田克子、横溝佐衣子、四谷美和子、富岡和子:日本調理科学会平成15年度大会発表要旨集 (2003)
(5)金城友子、池内ますみ、内山綾子、奥田展子、澤田崇子、花崎憲子、藤本さつき、升井洋至、水野千恵、山下英代、山田克子、山本由美、四谷美和子:日本調理科学界平成18年度大会発表要旨集 (2006)
(6)池内ますみ、内山綾子、奥田展子、金城友子、澤田崇子、花崎憲子、藤本さつき、升井洋至、水野千恵、山下英代、山田克子、山本由美、四谷美和子:日本家政学会第58回大会研究発表要旨集 p.175 (2006)
(7)升井洋至、池内ますみ、内山綾子、奥田展子、金城友子、澤田崇子、花崎憲子、藤本さつき、水野千恵、山下英代、山田克子、山本由美、四谷美和子:日本家政学会第58回大会研究発表要旨集 p.176 (2006)
(8)池内ますみ、内山綾子、奥田展子、金城友子、澤田崇子、花崎憲子、藤本さつき、升井洋至、水野千恵、山下英代、山田克子、山本由美、四谷美和子:「ヒガシマル醤油(株)委託研究報告 -煮物調理における淡口醤油の調理特性-」 (2005)
(9)升井洋至、池内ますみ、内山綾子、奥田展子、澤田崇子、花崎憲子、藤本さつき、水野千恵、山下英代、山田克子、山本由美、四谷美和子、新居早也佳、金城友子、小早川知子:醤油の研究と技術 37, p.388 (2011)
(10)小早川知子、松尾和吉、橋本忠明、築山良一:日本食品科学工学会誌 57, p.336 (2010)
(11)小早川知子、新居早也佳、永谷裕子、松尾和吉、橋本忠明、築山良一:醤油の研究と技術 38, p.219 (2012) 
(12)伏木亨編著:「光琳選書① 食品と味」p.15 (株)光琳 (2003)
(13)厚生労働省:平成18年国民健康・栄養調査 (2009)
(14)長谷川彰著:「近世特産物流通史論 -龍野醤油と幕藩制市場-」 柏書房(1993)
(15)松尾重頼著:「毛吹草」 p.157 岩波書店 (1943)
(16)人見必大著、島田勇雄訳注:「本朝食鑑1」p.114 平凡社 (1979)
(17)林玲子、天野雅敏編:「日本の味 醤油の歴史」 p.53 吉川弘文館 (2005)
(18)林玲子、天野雅敏編:「日本の味 醤油の歴史」 p.90 吉川弘文館 (2005)
(19)大蔵永常:「広益国産考」p.193 岩波書店 (1946)
(20)木村逸雄、横田和久編:「龍野惣町会所記録(日本都市生活史料集成 第4巻所収)」 p.256 三一書房 (1976)
(21)円尾家文書:「有物覚」(1716~1736)
(22)円尾家文書:「有物覚」(1746)
(23)八木哲浩稿:「龍野市史」第5巻 p.283 龍野市 (1981)
(24)藤田彰典:「京都の株仲間-その実証的研究-」P.15 同朋社出版 (1983)
(25)八木哲浩稿:「龍野市史」第5巻 p.307 龍野市 (1981)
(26)青山佐喜子、片寄眞木子、川原崎淑子、小西春江、坂上愛子、澤田参子、志垣 瞳、富永しのぶ、正井千代子、山本信子、山本由貴子、米田泰子:日本調理科学会誌 37, p.21(2004)
(27)富永しのぶ、片寄眞木子、川原崎淑子、小西春江、澤田参子:日本食生活学会誌 21, p.327 (2011)
(28) 阪上愛子、青山佐喜子、片寄眞木子、川原崎淑子、小西春江、澤田参子、志垣 瞳、富永しのぶ、正井千代子、山本信子、山本由貴子、米田泰子:生活文化史 45, p.77 (2004)
(29)青山佐喜子、片寄眞木子、川原崎淑子、小西春江、坂上愛子、澤田参子、志垣 瞳、富永しのぶ、正井千代子、山本信子、山本由貴子、米田泰子:「うすくち醤油の利用と関西のうす味・うす色文化の形成に関する研究 -江戸期ならびに明治、大正、昭和初期の料理本や文献に見るうすくち醤油と料理-」 日本調理科学会近畿支部食文化研究分科会 醤油研究グループ(2001)
(30)牛尾公平:日本調理科学会誌 48, p.39 (2015)
(31)牛尾公平:[淡口醤油の近代史研究 -明治、大正、昭和初期の料理本の調査により、「うすくちしょうゆ」が、古くは「うすしょうゆ」と呼ばれていたことを明らかにする-] 牛尾公平 (2015)
(32)中原イネ:「最新割烹指導方案」p.228 文光社(1930)